末期の胃癌患者、川口香子さん(仮名・80歳)が退院して住み慣れた自宅に戻ってきた。
余命は1か月程度。自宅で最期を迎えるためには内縁の夫、山田茂さん(仮名・82歳)の泊まり込みも含めたサポートが必要だが、妻がいる100キロ離れた町田市に毎日帰らなくてはいけないとやんわり断られてしまった。
前編『余命1カ月の80歳女性宅に通う内縁男は、若い頃に結婚を考えた自称「女房がいる」男。
看取り医が感じた違和感の正体【現役医師の現場リポート】』に続き、
6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った
“看取りの医師”が、人生の最期を迎える人たちを取り巻く、令和のリアルをリポートする――。
目次
かつての恋人の元にいそいそと
茂さんは、今日まで、結婚できなかった相手への恋慕を引きずっていたのだろうか。
初診から1週間後、診察のために、再びその家を訪れた。内縁…、
いや不倫相手の茂さんもそれに立ち会いたいとの事だったので、午後3時くらいに患者宅で会う事になった。
香子さんの暮らす住宅街の入り口にある交差点で信号待ちをしていると、対向車線に現れたバスから3人ほど降りて、横断歩道を渡り始めた。その中に、茂さんの姿があった。
食料品の入った袋を両手にぶら下げている。彼は車の中の私に気づいていない。
車中から見ていたが、その歩き方は、最近ではあまり使われなくなった言葉「いそいそ」と言う言葉がぴったりだった。
昔の流行歌の中に、<あなたのもとへ いそいそと>とか<いそいそ出かけて 行きました>という歌詞があったが、それを80歳の男が実演しているような感覚だった。 長寿がもたらした現象なのだろうか。
歩く姿からは、不倫という言葉からにじみ出る「穢れ」のイメージがなく、「爽やかさ」さえ感じた。
2人だけの時間を邪魔するのも無粋だと感じ、彼が家に入るのを見届けてから、10分ほど間を空けてから玄関のチャイムを鳴らした。
3時間あまりの道のりを、彼はどんな気持ちで移動してくるのだろうか。
ともあれ、その日の診察には大きな変化は無かった。癌性の疼痛も感じていない。
モルヒネもうまく効いているようだった。処方の修正もなく、帰ろうとすると玄関の外まで茂さんがついてきた。
そして平野先生、前回、先生が帰った後に二人で話し合いました。
私も妻持ちで不自由な身だけど、私自身もできるだけここで過ごすという話になりました。
どこまでできるかわからないけど、お願いします」と頭を下げられた。
気持ちはわかったが、あくまで日中の話である。彼は、今晩、彼女が危篤状態になっても泊れない。
不倫関係なのが残念だと思った。
退院から2週目。彼女は、癌からくると思われる食欲不振や体重の減少、つまり癌性悪液質が進行していた。呼吸苦も現れたので、すぐに在宅酸素も導入した。
残っている時間も少なくなってきたと思われる。この日の診察に、茂さんの姿はなかった。
妻がいる以上、毎日、町田からここまで通うのも無理なのだろうと考えた。
「お加減は、どうですか?」
「お薬で、痛みはあまり感じずに済んでいるのですが、最近は身体を起こすのも、やっとでして…。
あの人の手助けがないとトイレにも行けません」
あの人とは茂さんのことを言っているのだろう。サシで話せる良い機会だったので、今後どうしたいか本音を聞くことにした。
「これから先、どこで療養をしたいですか? なかなか決めるのも難しいかと思いますが、お気持ちだけでも聞いておきたいんです」
「もう、たくさん入院してきたので、できればこの家で過ごしたいです」
大半の患者さんは、そう言うのだ。私も死ぬときは家がいい。
しかし問題は、それを周囲が理解し、看取る覚悟ができるかなのだ。
大家族だから自宅で最期を迎えやすいと言うものでもない。
上野千鶴子氏の著書のように「おひとりさま」が自宅で最期を遂げるケースも今は多い。
香子さんの場合は、誰か、介護の鍵となれる方が1人でもいれば、何とかなるが、家庭の都合を抱える茂さんに、それを頼むのも難しいだろう。
「彼はきっと私を看取ってくれる」
「茂さんとは、お付き合いが長いのですか?」
「ええ、同じ会社に勤めていましたから。若い頃に交際した時期もありましたが、彼は私と別れて、
別の女性と結婚しました。そして定年を迎えて、私は実家に近いここへ帰ってきたんです」
その後、茂さんの性格やら思い出を、懐かしそうに話してくれた。そして「彼はきっと私を看取ってくれると思います」と言った。私が驚くと、「私、こうみえて彼より入社が早かったので、
色々と面倒をみてきたんです。
彼の性格はよくわかっているつもりです。それに私、この歳ですが勘はよく働くんです。
彼には――」自信に満ちた言い方だった。
彼女は茂さんの全てを把握しており、そして自分が最期を迎える時には、茂さんの目の前で逝けると確信しているようだった。
それが事実なのか、あるいは老女の儚い希望なのか、判断はつかなかった。
「私が今日から泊まります」
退院から3週間目のある日。香子さんは危篤状態に入った。ヘルパーから連絡を受けた私は、
19時頃、彼女の自宅に行くと、幸いにも茂さんがまだ残っていた。
意識が混濁している香子さんを目の前にして私は説明した。
もう、苦しさは感じていないと思います。今晩も含めて2~3日ぐらいが残っている時間かと思います。ここからは、私どもの施設でお預かりしましょうか?」
「ここで、お願いできませんか?」
なんとかなるとは思うが、茂さんは町田から通うつもりなのだろうか。
「この状態の彼女を独りにして心配は無いですか? 施設の方が安心できる状況かと思いますが」
「私が今日から泊まります」即答してきた。意外な反応だった。
「町田へは帰らなくても大丈夫ですか? 目安として、2~3日と伝えましたが、根拠は無いのです。ひょっとしたら危篤状態のまま一週間ぐらい頑張られる事もあります」
「長くなったのなら、それはそれで嬉しいだけです」
そして、その日から茂さんは彼女の自宅に泊まり込み、献身的な介護の末に、
5日後の深夜、香子さんは旅立った。
穏やかな死に顔だった。茂さんも、自分のした行為に満足しているようだった。
良い看取りだったと私も思う。ただ、妻もいる80歳を過ぎた男が、5日間も外泊するためについた嘘が気になった。それとも、香子さんが私に話していた仮説が正しいのだろうか。
私は「彼に全部は教えないで欲しい」と生前の彼女がたてた“仮説”を聞いてみる事にした。
「最後に、一つ聞かせていただけませんか? 茂さん、現在、奥様はいらっしゃるのでしょうか?」
茂さんが下を向いた。目をあわせないまま「終わった事だからもういいでしょう」と話を濁してきた。私もそれ以上は聞かなかった。香子さんの望み通りになったわけだから、それでいいと思った――。
生前に語っていた彼女の思惑
茂さんが不在だったあの日、香子さんと話した内容は、茂さんに対する仮説だった。
香子さんと茂さんとの縁は、香子さんの定年退職で途絶えたものの、5年ほど前から手紙が来るようになり、その後、この家に現れる事が増えたという。
その頃から彼女は、茂さんの妻はすでにいないと確信していたという。
「彼の身なりがかわり、ここに泊まっていく日も出て来たので、私に手紙をよこし始めた時にはすでに、奥さんは病死されていたのではないかと思います。
何かを長く患っていたと聞いていましたから…。
彼も、奥さんを亡くして、淋しくなってしまったのでしょうね。
でも、私と彼の関係はこの関係がお似合いなんでしょう。
だから、彼が何度か、真実を話そうとした時がありましたが、私は絶対に喋らせませんでした…。
でもこれ内緒ですからね。私が亡くなった後に、彼にこんな話をしちゃダメですよ。
またがっかりさせちゃうから」
香子さんは、こうも話していた。「彼が私を捨てたワケじゃないですよ。
私が独身主義だったのです。それで、彼は別の女性と結婚しただけです」
看取りの現場では、身寄りが無いと思われた方に、肉親以外の誰かが現れて、『自宅で死にたい』という望みが叶う時がある。茂さんと香子さんは、何かの縁があった2人なのだと思う。
茂さんの奥さんはまだ生きていたのか、本当に不倫関係だったのか、もはや確かめようはないが、
香子さんは目論見通り自宅で最期を迎える事が叶い、最後の5日間を一緒に過ごした茂さんは満足していた。私の仕事的にも何ら問題はない。より良い人生の最期に必要なのは、なにも血縁者や婚姻関係者だけではないのだと、私は思う。
(当事者のプライバシーを考慮し、内容の一部を改変しています)